最近、中学受験がかなり過熱しているように感じます。小学3年生や4年生から塾に通い始める家庭も珍しくなく、クラスの半分近くが塾通いという話を聞いても驚かない時代になりました。
中学受験の受験者数や最新の入試情報は、四谷大塚の中学入試情報のような公開データを見ても、関心の高さがうかがえます。
ただ、だからといって全員が中学受験をしたほうがいいとは思いません。中学受験は、その子に合うなら大きな意味がありますが、合わないのに流されて始めると、費用も時間も精神力もかなり消耗します。
中学受験は「するべきもの」ではなく「向いている人がするもの」だと思う
最近は、中学受験をすること自体が半ば標準ルートのように語られることがあります。しかし本来は、全員に必要なものではありません。
子どもの性格、学力の伸び方、家庭の考え方、通学環境、家計の余力など、いろいろな条件を見たうえで判断するものだと思います。
小学3年・4年からの塾通いは本当に必要なのか
まわりが通っていると焦ります。実際、小学3年生や4年生で入塾する家庭はかなり多いです。
ただ、ここで一度落ち着いて考えたいのは、本当にその子に今必要なのかということです。早く始めれば有利に見えますが、早く始めたからといって必ず成功するわけではありません。
中学受験にはお金も時間もかかる
まず現実的な話として、中学受験は安くありません。塾代だけでも小4で年間70万円前後かかることがあります。そこに講習費、教材費、交通費、模試代が重なります。
さらに、親の時間もかなり必要です。送迎、学習管理、スケジュール確認、過去問の印刷やコピー、受験校の情報収集など、受験は子どもだけで完結しません。
お金をかければ受かるわけではない
ここはかなり大事な点です。中学受験は、課金すればそのまま結果になる世界ではありません。
もちろん努力は必要です。ただ、それと同時に、理解力や処理速度、集中力、精神的な幼さ・早熟さの差もかなり影響します。小学生の受験なので、本人のポテンシャルや成熟度が結果を左右する部分は小さくありません。
逆に言えば、遅咲きの子もいます。小学生の時点ではまだ能力が十分に表に出ていないだけで、中学や高校で伸びるタイプも普通にいます。
過度な教育投資はその後の人生をゆがめることもある
個人的に怖いと思うのは、本人に合っていないのに教育を積み増していくことです。塾に加えて個別指導、家庭教師、追加講座と重ねていくと、本人の余裕がなくなり、受験そのものが苦しい記憶になってしまうことがあります。
しかも、学歴は人生のすべてではありません。社会に出ると、東大卒でも出世しない人はいますし、MARCHレベルでも大きく活躍する人もいます。学歴はその時点の学力をある程度示していても、社会人としての総合力とは別物です。
中学受験が向いている子はたしかにいる
一方で、中学受験がとても合う子もいます。たとえば、地元の集団になじみにくいけれど知的好奇心は強い子、何かに深く没頭するタイプの子、学ぶこと自体が苦にならない子には、環境を変える意味があると思います。
そういう子が自分に合う場所に行けるなら、中学受験は大きな価値があります。
見ていてつらそうだった家庭の共通点
親が主人公になってしまう
受験は子どものもののはずですが、途中から親が主役になってしまうケースがあります。親の理想や見栄が強くなると、子どもは苦しくなります。塾に行きたがらなくなるのも、このタイプに多い印象があります。
受験校が子どもに合っていない
もう一つは、受験校の選び方です。半分以上不合格になるような組み方をしてしまうと、子どもの自己肯定感も削られます。本当に子どもに合った学校を選べていたのか、親が行かせたい学校を優先していなかったかは、かなり重要だと思います。
結局、中学受験をするべきか
結論としては、やはり人による、です。
中学受験をしたい、子どもにも適性がある、家庭として費用も時間も出せる。それならやればいいと思います。
ただ、まわりがやっているから、なんとなく不安だから、という理由だけで始めると苦しくなりやすいです。
受験を終えて思うこと
受験を終えて強く思うのは、中学受験は子どものことではあるけれど、親にもかなりのコミットが必要だということです。受験本番の時期は本当に神経がすり減ります。
だからこそ、流されずに、その子に必要かどうかで判断してほしいと思います。